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ドストエフスキー「悪霊」 [ブックレビュー]

悪霊 (上巻)

悪霊 (上巻)

  • 作者: 江川 卓, ドストエフスキー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1971/11
  • メディア: 文庫


悪霊 (下巻)

悪霊 (下巻)

  • 作者: 江川 卓, ドストエフスキー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1971/12
  • メディア: 文庫


 ドストエフスキーの「悪霊」はキリスト教の観点から、神を信じない者はどのような人生を歩むのかを同時代の革命思想を題材として描いた長編小説である。主役の革命家らは表面上は不公平な社会の現状を転換しようという正義漢を装ってはいるものの、内面はどろどろとした人間の欲望の渦に飲み込まれた汚らわしい人物として描かれている。

 シベリア流刑後のドストエフスキーは、革命家に対しては徹底して糾弾する姿勢を貫いた。ドストエフスキーは、がさつな人間、時にはキリスト教徒であれば犯罪者に対しても親近感を、一方、革命家や安易な帝政批判をする知識層には嫌悪感を抱いた。かつて文壇に華々しいデビューを飾るきっかけを作ってくれた文芸評論家であり革命家でもあったベリンスキーに対してさえも非難の矛先を向けた。(すでにベリンスキーは鬼籍に入っていたが)ドストエフスキーは神を信じようとはしない者を憎むほどの厚い信仰者になっていたのだ。

 ドストエフスキーの「悪霊」。タイトルの悪霊は新約聖書のルカによる福音書第8章による。同様のエピソードはマルコによる福音書にも記述が見られる。このエピソードは日本人にはちょっと容易には理解しがたいものだ。

 イエスがガリラヤ湖の反対側ゲラサで、ある精神錯乱者と出会う。その者は実は悪霊にとり付かれていた。悪霊は「底なしの穴」に閉じ込められないようにイエスに頼む。悪霊は人から抜け出し、近くにいた豚の群れの中に入る。悪霊にとり付かれていた人は正気を取り戻す。豚の群れはいっせいに湖の中に入り、溺れ死んでしまう。豚の群れを飼っていた牧夫やその地域の住民はこの事件に恐れおののき、イエスにその場を立ち去るように要請する。

 この時代のユダヤ教徒にとっては、豚は汚らわしいものとされていた。つまり、このエピソードから分かるのは、ゲラサの住民はユダヤ教徒ではない、いわゆる異教徒だったことを示している。ユダヤ教ではないものを信じる者はサタンに魅入られたものである。イエスはサタンの手下の悪霊に魅入られた一人のゲラサ人から悪霊を追い出した。助けられた本人も感謝している。また、不浄な動物に悪霊が入って滅亡したわけだから、万々歳のお話だと受け取らなくてはならない。ただし、異教徒にとっては受け入れられない話なのでイエスはゲラサに留まれなくなるのだが。また、話はそれるが、このエピソードの注目点は他にもある。旧約聖書では、ユダヤ人の救済がテーマだが、イエスは異教徒のゲラサ人を救済した。イエスの行動はユダヤ人だけの幸福ではなく、ユダヤ人以外にも手を差し伸べる当時としては、革命的なことだった。このような人物がユダヤ社会のこれまでのヒエラルキーを根本から崩してしまうと、保守派が危険視しイエスを弾圧、処刑に導いたのは当然のことだったろう。

 ドストエフスキーの「悪霊」では、つまり「革命思想家」に絞って書いているが、これは「信仰なき者」に対しての警告書と言えるかもしれない。これでもかというほど目を覆いたくなるような、痛ましいエピソードが数多く出てくる。ただ、現代社会では「悪霊」に出てくるような信じられないような事件が悲しいことだが、毎日のように頻発している。現代のそうした世相をドストエフスキーが生きていれば、神を信じないための罰だと言うに違いない。


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