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躾けられなかった横綱の悲劇 [雑感]


 朝青龍は横綱としての最高位にありながら品性を欠いているがために日本の年長者から嫌われる傾向にある。親方らの苦言を文句としか受け取れないためである。
 まず相手の攻めを受けて尚かつ勝利するという過酷な条件が課されるのが横綱だが、朝青龍はまったくこの条件に違反している。横綱にあるまじき顔面への張り手など取り口はとにかく汚い。横綱相撲を取ろうとしない朝青龍の記録を歴代の横綱と比較するのは全くナンセンスだ。体の小さい朝青龍に横綱相撲を強いるのは酷かもしれない。しかし、横綱とは本来そういうものなのである。朝青龍がいくら優勝記録を伸ばしても大きな称賛が起きないのはこのためである。
 相撲に八百長があるのははるか昔からの暗黙の常識だ。イギリスのブックメーカーが相撲の勝敗を賭けの対象にしないのは八百長であることを知っているからだ。しかし、これまで八百長報道があっても無視を決め込んできたのに今回マスコミ報道に過剰に反応したのはなぜか? 角界が朝青龍の品格のなさに耐えきれなくなり、朝青龍おろしが始まったのではないか。なぜオレの時だけ守ってくれないのか、と朝青龍は裏切られた気持ちだろう。角界は表面上は朝青龍の味方をしているが、実は事情聴取をするなどの嫌がらせで本人の相撲に対するやる気を失わせ、自主的な引退を早めようとしているのではないかと私は思っている。
 曙や武蔵丸は角界の風習に忍従して、外国人には横綱は務まらないといった誤解を解いた。私は曙や武蔵丸には親近感を抱くが朝青龍にはまったくそのような気持ちを抱く気にはなれない。
 大柄な外国人が増え単調な押し相撲が増えた。背が劣る日本人は技に磨きをかける努力をせずに安易に体重を増やす傾向にあった。モンゴル人は逆にモンゴル相撲の良さを生かし、頭を使って体のバランスに配慮して相手を倒す知恵を最大限に生かしている。私はモンゴル人の相撲は決して嫌いではない。
 技の多彩だった貴乃花は横綱になって横綱相撲を意識し、寄り切り以外の自らの技をほとんど封じてしまった。自らの動きを封印する見返りに彼は体重を増やさざるを得なかった。貴乃花が意外に短命だったのは体重増による膝への過大な負担だった。時代の変わり目の痛みを一手に引き受けた悲劇の力士だった。横綱の品格を背負った代償だった。
 角界が今後、相撲をスポーツライクな方向性にしてしまうなら、それはそれでいいと私は思っている。しかし、一方で横綱相撲をしない横綱に対するペナルティー制度のようなものもあっていいような気がする。これまでそういうところをあいまいにぼやかした形で横綱相撲は存在したが、外国人が多数いる現在、明文化・ルール化は避けて通れないと私は思う。横綱相撲を躾けなかった親方の責任も重いが、時代の波について行けてない角界にも歯がゆさを感じる。


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